「自然(じねん)経営」のマイ定義

私も関わっている「自然(じねん)経営研究会」では、「自然経営」の定義を半ば意図的に明確にしていません。関わる人たちがそれぞれ考えるべきものだと受け止めています。

そこで、現時点の私なりの定義(マイ定義)を記しておきます。今後、変わっていくこともあるとお考え下さい。

自然経営=「愛を土台にした人と人との関わり合い方」

英訳案 A way of relating to each other based on love

最初に「愛」が来るのは意外感があるかもしれません。私もふだんから使う言葉ではありません。自然経営研究会でよく耳にする影響だと思います。

堅く言い換えるなら「人を大切にする価値観」。ただ「愛」のほうが「価値観」よりも人間的な側面が強く感じられます。


「愛」は何を表すか? 階層や管理は?

私たちは「自然経営」を「ティール組織」や「ホラクラシー」と並べて使っていて「階層構造も管理もない」というイメージを持っています。これはマイ定義の「愛」の部分に表されています。

本来、人に対する「愛」があれば、固定的な上下関係が当たり前にはなりません。他人を管理するという思想にもならないはずです。これを貫くと「必ずしも階層構造や管理がない」組織になる、というわけです。

※「必ずしも」と付けたように、状況に応じて変わる階層関係がないわけではなく、管理的な側面がまったくないわけでもありません。大事なのは他人を大切にする価値観です。


なぜ「関わり合い方」か?

「関わり合い方」は、「協力のしかた」としてもあまり困らないとも思いました。しかし「協力」だと、組織内の人達の関わり合いに限られそうなので、あえて広い言葉にしました。つまり組織外の、顧客や取引先に対しても「愛」を土台にした関わり方をする、ということです。突き詰めて言うと、社会の誰に対しても「愛」を持って関わることを意味します。

組織の構造や管理の有無といった特徴で表さなかったことには意味があります。「自然(じねん、jinen)」には「日本発の」という意味が込められています(自然経営研究会ビジョン参照)。日本の文化では、組織や社会のあり方を全体的に設計する思考がなく、個々の人間関係の集積として形づくられている側面が強いように見えます。それゆえ、関わり合いを起点にした表現にしました。

外形や構造的な特徴からアプローチしても、結果だけ見ればほぼ同じような姿と実態になると考えています(収斂深化による相似)。組織にはどちらの側面もあるのが普通です。ただ、日本の文化では個々の人の関わり合いが起点になっていると考えました。

さらに、組織の内部と外部の境界が曖昧になってきています。そのため、組織についての記述にしないことで、外部への広がりが得られるメリットもあると考えた。


「経営」は?

「経営」がどこに行ったのか、という問題がありますが、今回は先送りしました。そもそも「経営」がどの範囲を指すのかわかりにくいせいもあります。ちなみに研究会の英文表記は「Jinen Management Institute」になっています。

20190506